インタビュー

Posted on 2015-03-02
インド音楽との出会いから〜スイスで日本のお風呂を受注するまでの多彩な挑戦


ジュネーヴにて

クラット浩子 ジュネーヴにて


クラット浩子さんは、ご実家が大阪でスイス在住です。その女性らしい外見に加え行動力や決断力の潔さをお持ちの方です。インド音楽の楽器タブラーを叩いての演奏活動。スイス時計メーカーでのお仕事、ドイツ語の勉強、宝石学の勉強、そして母国日本から再びスイスへ届けるものとは…新たな挑戦をお話いただきました。

取材 文 宮崎 純代

強い意思が背中を押した?インド放浪先でのトラブル

———20代の頃は、バックパッカーとしてインドを放浪されたそうですね。そのあたり詳しく教えてもらえませんか。

友人と2ヶ月の放浪の旅でした。たまたまその旅行中に現地でコンサートを聴いて感銘を受け、そのミュージシャンのことを知りたいと強く思いました。
この方です。Sharma+Zakir Hussain の動画
それで、いろいろ手を尽くしてみたのですが、僅かな情報しか得られず帰国する日になりました。
ところが、バンコクの空港でリコンファーム出来ず、新しいチケットを買う羽目に。日本から送金してもらって帰国後にお金を払い戻すと言われました。
でもバンコクで待つのは嫌だなと、インドに戻るのならいくら掛かるか尋ねたら二人の全財産使って7ドル残る計算でした。
ならばインドに戻って待って送金してもらえばいいと。私のカメラなどを売ってお金を作りました。そろそろ帰国しようかという時に、また友人がカメラを売ってそれから1ヶ月滞在しました。それで2ヶ月のインド滞在が4ヶ月になったのです。

そして、いよいよ帰国の時、日本から送金されたお金を受け取りに行った銀行で、東京でインド楽器を売っている方に出会いました。
買いたい楽器タブラーを売っているお店に連れて行っていただき、大阪でタブラーを教えてくれる先生も紹介いただきました。
大阪で習っていましたが、暫くして先生が病気で亡くなられたんですね。
それで新しい先生を探していたところ、友人がインド紅茶のお店で日本人のタブラー奏者に出会い、その先生に習うことになりました。
彼を通じて、またインドで、タブラーを教えてくれる先生も紹介していただき、今度は一人で再び渡印することになりました。

いよいよ演奏活動デビューへ

インドの各地を点々と滞在しながら半年間、いろんなミュージシャンを見て聴いて最終的にこの人だと思う人が5人いたのです。
そのうちの一人に教わることになりましたがビザが切れる2週間前でした。
それで再び帰国して半年お金を貯めてまたインドへ。
その先生に師事し、コルカタに1年半滞在しました。
帰国後、コルカタで知り合ったシタール奏者のインド人の方が、一緒に演奏活動しようということで神戸での演奏が、私のデビューになりました。それからいろんなミュージシャンと演奏するようになったり楽器のレクチャーをしたり、ソロもやるようになりました。
それでも、レッスンを受ける為に毎年渡印していました。

———へえー。20代はずっとそういう生活だったのですか。

ええ、演奏活動始めたのは、25歳からだったので28歳で結婚するあたりまでですね。スイス人の主人とは、お互いの先生同士が友人で、インドで知り合いました。結婚後スイスへ移住し、結婚前から交流のあったスイス人シタール奏者など色々な人に声を掛けてもらい演奏活動を続けていました。

でも娘が生まれてからは、彼女が3歳になるまでお休みしていました。

娘が4歳になった時、日本で教育を受けさせた方がいいかなと思い家族で日本に引っ越しました。幼稚園から小学校2年生までです。
同時期に、私は演奏活動を日本で再開しました。

再びスイス、新しい職場で日本人としての強みを発揮

そうこうしているうちに、主人の仕事の都合でスイスに戻ることになり、主人の知り合いのツテでソフトウェアの和訳やマーケティングの仕事をして日本にも何回か営業で行き来しましたが1年で退職。
無理の無いペースで仕事をしようと探していたところ友人のパーティである時計会社の社長さんにお声をかけていただき、就職することになりました。
仕事上での語学が不安だったのですが、英語でなんとかなると会社の人に言われました。
しかし、上司が、フランス語とドイツ語しか話せない人に当たってしまったので、これはまずいとドイツ語を真剣に学ぶため仕事が終わってから語学学校に週2回4年間学びに行っていました。

最初の担当は時計ケースである人工サファイアの面に傷が入っていないかどうか検査する仕事でした。約3年程担当しました。 
売り上げの約80%を日本市場が占めていたので、国際展示会の通訳や営業アシスタントもしました。
その後、時計の組み立ての勉強をしたらどうかと言われ、時計職人さん達が仕事をしているアトリエで1年間、簡単なクオーツ時計の組み立てを学びました。
何といっても製造部のマネージャーがスウォッチ・グループから来た人なのでとても勉強になると思ったのです。
(スウォッチ・グループとは世界最大の時計製造グループ ラドー、オメガやブランパンなど高級時計もここの傘下)
その後、品質管理と在庫管理を担当し、品質を日本市場に合わせて改善し、日本からのクレームもほとんど無くなったのです。それはとても評価していただきました。

それから品質管理と並行して、宝飾部のお手伝いもすることになりました。ダイヤモンドの品質をマイクロスコープで検査するのです。
でも私は、ダイヤモンドのことを何も知らないので同僚に相談しましたら
ジュネーブに宝石学を教えてくれるところがあると知り、そこで基礎を勉強して、イギリスの宝石学院の通信教育でダイヤモンドの勉強をしました。
それからは、そこで得た知識が役に立ち業務に反映することができました。

海外在住の日本人が望むお風呂

———旦那さまは、どんなお仕事をされているのですか。

石関係の仕事です。大理石や天然石を使った台所やお風呂、ホテルの庭やウェルネスの日本風のお風呂を受託しています。

スイスに戻ったら、主人と日本のお風呂を受注して、施工を始める計画をしています。

スイス在住の日本人の方と「老後は日本のお風呂に入りたいなぁ。」という話をよくするのです。
向こうは、追い炊き出来るお風呂がないのですよ。西洋のお風呂はバスタブに、お湯を張って浸かっていると温度が下がって長湯できないですから。冬が長いので、寒い日は暖かいお風呂にゆっくり入りたいですしね。
もうすでに注文も入っているのですよ。

———もう注文が入っているっていいですねえ。それは、たとえばスイス人と日本人のカップルですか?

はい、ほとんどの場合、女性が日本人ですね。旦那さまの方が積極的だったりしますが、日本のお風呂が好きな日本人女性はたくさんいらっしゃると思います。

———その設計図はどうするのですか?

それは、ご家庭によって違うのでオーダーメイドです。その設計や部品の調達は主人が担当し、私は営業担当ですね。

それと今回の日本滞在で事業に携わりスイスで、ぜひ紹介したいのが和紙ですね。和紙のカーテンを作りたいと考えています。
和紙は世界遺産にも登録されましたし。和紙はこれから注目される日本文化のひとつだと思います。

今回、見つけたのは「洗える和紙」なんです。カーテンに使うことで光りがやわらいで障子のような効果ができるんじゃないかなぁと思います。

(…とその後、スイスには無いごぼうの栽培のお話や農業のお話などを延々と多岐方面に渡ってお話を伺うことが出来ました)

———クラットさんの今までの人生とこれからの人生について、どう思われますか?

あと3年ぐらいは、新しいこと色々なことに挑戦してその後の道を決めたいと思っています。
ちょうどこの感覚が、インドに行った頃と似ているのです。
30年経って一回り巡ってきたという感じですね。

ウェブサイト
http://www.peterklatt.ch


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